2011年7月23日土曜日

名声におぼれるな!

過去の栄光を引きずって生きていこうとする人たちがいます。

どんなに偉くなっても、どんなに名誉な事をしても、それはその時のひとときの名声にしか過ぎず

ずっとその影をひきずって行くと、先に進む事が出来ないし、進歩もないのです。


一度名声を得てしまった人はなかなかそこから抜け出せず足踏みしてしまう事が多いのです。

しかし自分を先に進めるには、もっとそれよりもするべき事があるし、もっと上を目指して行かな

ければダメになって行ってしまうのです。


一度つかんだ名声にしがみつく人ほど、先を見る事が出来ずに何をしていいのかも分からなく

なってしまう場合があるのです。


あの時の自分はすごかったんだと振り返ることしか出来ず次の目標を失い迷うのです。

そうなると人間はとてももろいものでどんどん落ちて行くだけで這い上がる気力もなくしてしまい

誰かの手を借りなければ生きていけないまでになってしまう場合があります。


何のために偉くなったのか、何のために名誉をつかんだのか、これから先の自分をもっと

すごいものに進めていくためには、自分の力で前を見て目標を新たにしなければいけないのです。


名声を超える何かを、自分で一から見出して自分の力だけで進まなければ意味がないのです。

一度手にした名声を捨てる覚悟で進むべき道は、自分で切り開いていかなければいけないつらさ

はあります。しかし名声に振り回されず先を見て次の目標に進む事が・・・。


必ずあなたをもっと大きな人にしてくれると私は思うのです。

2011年7月22日金曜日

騙す人間~騙される人間


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騙される人間であっても、騙す人間にはなりたくない・・・。

でも騙されたら悔しくて・・・。なんて勝手な感情なんだろうと思う時があります。



実の父が亡くなったのは今からもう34年前の事ですが・・・。今だに悔しいと思いだします。

体格はとてもがっしりしているのに、気が小さく、とても自分の体の弱いのを知っていた父は

しょっちゅう病院に行っては薬を飲んでいるような人でした。


それがある日から、ぱったり病院に行こうとしなくなってしまったのです。

体中が黄色くなってきて明らかに黄疸が出始めていたころの事。


同業者の知り合いから病気が治るから来てみたら・・・と誘われて・・・。

しかし、宗教団体的なことの大嫌いな父がそう簡単には行く事はなく・・・。

まずは私と母がためにし行かされました。



手からのパワーで病気が治ると言うのです。もちろん私も母も半信半疑です。

そういった類の団体は多く、決して否定するつもりはありません。

信じていれば、救われると言う心理には、少なかれ当てはまる事もあるかとは思うからです。



しかし、その団体は、それですべての病気が治ると言うのです。


自分で確かめると言った父が・・・。病院に行くのを拒否してしまうまでになり・・・。

誰が見ても病気と分かる黄疸の出方に無理やり父を病院に連れていった時には・・・。

即入院、即手術です。胆のう癌で黄疸が体中に回っていたからです。



病院には、連日2~3人の信者が入れ替わり立ち替わりあらわれては廊下で父にパワーを送る

とかで手をかざしていました。母は恥ずかしいから帰ってくれと悲願しても、遠くからやっている

のです。何ともすごい人達だとよく覚えています。



悪い事は重なるものです。2度の手術のミスで切ってはいけない血管を切られて・・・。

初めのうちは病気のせいと・・・騙されていました。口から下から出血しているにも関わらず・・・。

私がそれを知ったのは、亡くなって病院を出てから・・・10年も経ってからでした。

何も分からなかった母が病院から父と帰る時、病院から当時で30万円ものお金をもらっていた

のです。そして「すみませんでした。」と言葉を添えられて・・・。



亡くなった当時、母はショックで自分が半狂乱になったぐらいでしたので、考える余地もなかった

のでしょう。今なら訴訟問題にしてもおかしくないでしょうが・・・当時は情報もなく、私もまだ子供

でしたからそんな状況も分かるはずもなく・・・。泣き寝入りでした。



病院に行かなくても、パワーで治せると信じてしまった父が、何とも情けなく思うのです。

昔の「頑固おやじ!」そのままの人で、聞く耳を持たなかった人だけに・・・。

騙された父が、何とも滑稽に思えて、仕方ありませんでした。


きっと自分はもう長くないかもと・・・少し弱気になっていたのかも知れません。

そんな弱気の気持ちに、ふっとつけ込まれた心情だったのでしょうか?



今年、亡くなった父と同じ年になった私・・・。


人生はそんなものかと少し父を理解できてきた今日この頃です。


でもやっぱり本当は騙されたくもないけれど・・・・。

どちらかであれば、騙される人間であっても、騙すほうの人間にはなりたくないと、今も思うのです。


人の人生をも変えてしまうような、騙し方だけは、しない方がいいと思うのです。







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2011年7月21日木曜日

心配ごと

心配の種というのは何処にでも落ちているもので・・・。

親だったり、子供だったり、彼氏だったり、彼女だったり、主人だったり、妻だったり・・・。

人間、誰しも一緒にいれば心配事はついて回るものだと思うのです。

「心配しなくても大丈夫!」と言われても心配になるのはきっとその人を大事に思っていればこそで

何も思わない人には心配などしないと思うのです。

赤の他人には関心がなくても自分と関わりがある人には多かれ少なかれ心配心はおこるものです。


どうしたら心配せずにいられるのだろう・・・と考えても答えは出なくて・・・。

相手を信頼していないから?とか・・・。これも性格かなぁ~とか・・・。

半ばあきらめ自分の気持ちを抑えるのが必死で・・・。情けなくなったり、何か1人で心配ばかり

している自分がバカに見えたり、これはこれで腹立たしく思いながらもいつも繰り返し・・・。


そんなこと心配されている方は全然お構いなしで心配ばかりかけている事もにも気づかない。



それでも誰かに心配されなくなったら淋しいものだから・・・心配したり、心配かけたり・・・。


でもそれはそれでいいよね!きっと愛され、愛している証拠だから!

2011年7月20日水曜日

がんばり過ぎの君へ

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どんなに一生懸命頑張っていても・・・。

街の中で、人ごみにまぎれているちっぽけな自分の存在が・・・。

こんなにも小さく、こんなにもまぎれてしまうほどの存在しかないと感じる時・・・。

それでも自分は、生きているんだと、実感できる喜べる自分がいます。


人は一生懸命生きていて、1人の力は果てしなく小さいけれど・・・きっと何かが出来ると、

人は集まり一緒に努力して、そんな人生も大いに意義がある事で、自分一人ではないのだと、

また実感するものなです。


不安や病気と闘うことも、自分の心を試されているように思う時、まだ、まだ頑張れると実感し

一緒に頑張ろうと、涙してくれる人がいるだけで、また生きようと、頑張れるものだと思うのです。


誰でもつらい時、悲しい時、淋しい時はあるものでのだけれど、いつも誰かが見守っていて

くれて、いつも誰かが助けてくれると思えれば、1人ではないのだと実感できるはずです。

頑張り過ぎている自分に微笑んで、人は1人では生きていけないなら、時には、寄りかかって

甘えて生きていけばいいのです。


少し気楽に生きようと、ちょっとだけ誰かに甘えて見てもいいのですよ!

片意地張らずに、弱い自分を見せながらも、頼れる誰かは、そばにきっといるはずですから!








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2011年7月19日火曜日

水晶の輝きは正直

水晶は昔から東洋・西洋、問わず多くの人に愛されてきた石です。

私も水晶は大好きで部屋のあちこちに水晶を置いています。

水晶といっても種類も多く形や大きさが違うとパワーが違うのですが、本当の天然石はなかなか
見分けるのが難しいのですが・・・。手を加えられた石の方が綺麗に見えるので皮肉です。

水晶の種類はクリスタル・レインボークオーツ・ガーデンクォーツ・などたくさんの種類があります。

私はどちらかと言うと曇りのない透明な水晶よりクラックがあるものインクルージョンの有るもの
が好きなのです。このようなものは光の屈折からいろいろな光反射をして虹を見せてくれるので
とても好きなのです。

風水などで言われている「環境整備学」なども気の流れを変えるのに役立ち生活の中に取り入

れると気持ちが上向き良い流れをつかむ事ができます。たとえば玄関にはサンキャッチャーや

水晶クラスターやアメジストドームなどを置いておくと外からの邪気を部屋の奥に入れることなく

水晶達がキャッチしてくれるのです。

水晶の一番の特徴は周りの邪気を吸い取り、良い気に変える働きがあるので、出入りの多い

玄関には特によいとされています。


水晶は環境になじみそこに住む人たちの気を感じ取ることに長けているように思います。

一日一日の水晶の輝きが違うのです。


たとえば・・・

いつも玄関にかけているサンキャッチャーを毎朝見るのですが、その時々で輝き方も色も

違ってきます。青色を帯びていたり、赤色に帯びていたり、気の流れが良くない時は全然輝き

がなく光らなかったりします。

これは丸い水晶玉でも同じ事が言えます。その日によって光り輝きが違って来るのです。


光輝いていない時は、邪気が多い時なので窓を開けて部屋のお掃除をして朝日をできるだけ

部屋の中に取り入れたり、もちろん月の光に照らされた石は元気を取り戻しますから満月の

日にはできるだけ一晩、月の輝きに照らしてあげます。しかし双子座と射手座の満月の時は

天気が変わりやすいので、一晩中外に石を置いておくのはやめましょう。

突然の雨にやられてしまっては大変ですから・・・。



水晶の光輝きと共に会話をするのですが、その時々の自分の感情を映し出すかのような輝きを

します。簡単に言ってしまうとネガティブな感情の時は赤系の光を放ちます。

大丈夫!頑張れるとポジティブ感情になれば青色に輝きます。

虹色に輝く時はとてもハッピーになれる前触れです。
(本来はもっといろいろな輝きの色で判断するもので奥が深いのです。)


あなたも本物の水晶に出会い、上手に水晶と付き合って輝く光の世界を体験してみてはいかが

でしょうか?光の輝きと共に、前向きな自分にきっと出会えるはずですから!

2011年7月18日月曜日

心意気 JAPAN !

感動のシーンを見られなかった朝の弱い私ですが・・・。

しかし朝の番組はどこも、なでしこJAPANの話題で持ち切り。

勝利、感動の中に隠された努力・根性・あきらめない気持ち!

簡単に言ってしまえるものでは、ないと思います。



ニースを見ていてこの時、男子のサッカーのドーハの悲劇を、ふと思い浮かべました。

最後の最後にゴールを許してしまい、負けたあの試合は、ほんの少しの心の隙間に入り込まれた

ゴールだったように思います。




今回の澤選手の最後のゴールは、これこそあきらめない気持ちが前面に出た、隙間に押し込

んでやるというゴールだったように思います。




何度も負けていたアメリカに、勝ちたい気持ち・・・。

人というのは、追いかけている気持ちの方が追いつかれまいと逃げる気持よりずっと強く働く

もので絶対に今度は勝つという強い気持ちの方が力になりうる結果だったように思います。




いつも2位で甘んじている人が1位になりたい気持ちが強ければ自分の持っている力以上の

ものが発揮できるのです。逃げるだけの1位の人は、維持するものが勝利でしかないので

持っている力以上を、発揮するのが難しいのです。





私たちが学ばなければいけないのは、あきらめない気持ち。どんなに頑張っていても

あきらめてしまったらそこで努力は終わりで先に進めないのです。


そして1位で甘んじていないで、次の目標を明確に持つという事。

アメリカの立場と日本の立場と同じように、どちらも努力なくしては、語れない事だけに、

両方の気持ちを同時に、持ち続けるようにしたいものです。




そしてあきらめない気持ち。どんな時もあきらめなければきっと道は開けてくると・・・・。

運をも味方につけた結果・・・なでしこJAPANは立証してくれたように思います。

どんな時でも心意気では絶対に負けない、強い意志こそが!



不可能を可能にしてくれる瞬間を作ってくれるのだと思うのです。






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2011年7月17日日曜日

子供の気持ち

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子育てとは、親の意に沿うように育てようとすると、必ず歪みが来ます。

赤ちゃんのうちは、親から受け継がれている免疫力があるので、少々の事では病気には

なりません。初めての子は、とかく親が神経質になりミルクを上げる時は、ミルク瓶を煮沸消毒

したり雑菌を付けないように、気おつけたりと敏感になります。


しかし、ハイハイををするようになると、どこかまわず落ちているものを口に入れてしまいます。

ちょっと目を離したすきに、トイレのスリッパをかじっていることもあります。落ちたスプーンを

また口にいれたり、とにかくいろいろなものを口の中で確かめるように、何でも口に入れてしま

います。

何のために、煮沸をしたり、衛生にいろいろ気おつけていたのか、分からなくなると思います。



小学校に行く頃は、とかく親が必死にいろいろ習い事をさせます。ピアノ・バレエ・お習字

体を鍛えるためには柔道や剣道・合気道・水泳と習わせる親が多くなります。


ここで考えなければいけないのは、その子供が本当に行きたがっているか?

いろいろやらせてみて、何かの才能を見出したいと考えるのは、少しあさはかです。



思春期の時期には、思春期の態度が出た方がいいのです。

親に反発し、親を毛嫌いするようになり、少し父親を汚らしいと感じる子供もいます。

しかし、思春期の態度が出ない子は、内に感情を閉じ込めてしまう傾向があるので、表面に態度

で出す事ができません。そういう子に限って、切れやすくなったり、突拍子のない行動にでたり

親が把握する事が出来なくなり、この時に親はどうしていいか分からなくなります。

こういうときは、何でもいいので、発散させるようにするといいのです。


自分の好きな事を好きなだけさせて、自分の行動が正しいのか、自分で判断出来るまでほおって

みます。(ただしその子供が取った行動は親からみた意見を添えるべきです。)


大学受験でも親の意志が出てしまいますが・・・経済的余裕があればどこに決めても子供に
決めさせる方がいいのです。


英才教育といって、小さい時から塾や習い事をさせていると、子供の考え方が自由に出来ないた

め曲がった考えを持ってしまう傾向もあります。

これは、親の願望が小さい時から、いい学校に入って、いい大学を出て入れば、いい就職に

つけると、あやまった考え傾向からです。


今は、そんな時代ではないので、とにかくのびのびと育った子供の方が、発想力も豊かで自分で

何でも切り開き、克服する力がついてくるものです。

子供とは、親の意に沿うようには育てられないものなのです。




たとえば・・・


子もどもによく言いがちな言葉・・・「早く寝なさい!」ではなく、

「まだ寝ないの?」と聞くといいのです。(質問系にすると良いのです。)

これは言葉の投げかけの違いです。「早く寝なさい!」と言われれば「今寝ようと思ったのに・・・。」

となり、質問形式にすれば「もう寝るよ!」とか「もうすぐ寝る」と返ってくるはずです。

自分でどうするか決めさせる方がいいのです。


だからと言って、放任主義過ぎるのも考えものです。

親子の関係は、いつも身近なものと子供にも、認識させておくことは大事なのです。



たとえば・・・

少し大きくなった子供なら、友達と出かける場合でも「何時に帰る?」ではなく

「○ ○時を過ぎたら連絡してね。」とか、「夕食までには帰る?」とか。

何時に帰ると言われても、遊んでいたら何時になるか分からないし、夕食の時間は、大体その家

で決まっている時間があると思うので、具体的に「何時に帰る?」と聞かない方がいいのです。


ここで重要なのは・・子供との対話

子供との対話出来ていますか?

何かに悩んでいそうな時、根掘り葉掘り聞くのではなく、黙って見守ることも大事です。

自分で答えをだそうとしているのですから・・・。



しかし、ほんの少しの助言も必要な時があります。親の方が長く生きているのですから・・・。

親子の関係は何でも話し合える事が一番ですが、子供の性格によって見極めが大事です。


無理強いさせるのではなく、親の意に沿うように育てるのではなく、かと言って小さい時から

甘やかしすぎず、過干渉になり過ぎないように!

子供の気持ちを尊重できる親でありたいものですよね!





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