2011年6月17日金曜日

思考回路

自分の中に2面性を持ち合わせていると気づいている人も多くいると思います。

新聞の記事などで事故や災害などで親愛なる人を亡くした家族の記事などを読んで急に
涙が溢れそうになり自分がその立場に立っているような錯覚さえ起こしてしまうようほど
記事の中にに入り込んでしまう事はないでしょうか?

その反面、親愛なる人が死んでしまった姿を見て人一倍悲しいのに涙が出ない・・・。
そんな経験をしたことはないでしょうか?

そんな時思う事は自分には死の恐怖がないように思うのです。
そう言うと「悟りを開いたの?」とか言われそうですが、そんなものではない気がしています。

それにやはり自殺した人や他殺と言われるものには怒りさえ感じてしまうのですが、病気で
死んでいくことや事故や災害で死んでいくことはこの世でオギャーと生まれたときから決まって
いたように思うのです。

歌手の安川雅史さんが歌う「千の風になって」という歌の内容のように『お墓の前で泣かないで
ください~そこに私は居ません~』とありますがそこに共感します。

こういう事がありました。
父が亡くなった病院でのことですが、もう数日前から意識の無かった父が医師の言葉で
心臓が完全に止まり死亡しました。と言われた時のこと、看護師さんが「今はまだ聞こえて
いるので声をかけて最後のお別れを言ってあげて下さいね。」と言うのです。

そう肉体的機能の心臓は止まってしまったけれどそこの近くには魂がまだ居るのだからだと
思いました。看護師さんはいくつもの経験からちゃんと分かっていたのでしょう。

そして肉体を離れて魂は旅立つ前に私たちを見ていることも感じました。
旅立つことが悲しみに繋がらない事も私たちは感じとる事が出来るのです。

悲しみに暮れるのではなく、いつかまた会えるよ!そんな気持ちで過ごしたいものです。

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